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卒業生父母からのメッセージ

息子と私と白根開善学校 そしてちょっと話したいこと
25期 卒業生 母

 息子が高校を卒業してから、3年9ヶ月、月日の経つのがとても早く感じます。今は成人して美術大学の4年生、あと数カ月もしたら社会人になる年になりました。大学の専攻は彫刻です。大学に入学した当初は、(私は)家の中には木工や金属の作品、庭には石材作品、いたるところに彼の作品で飾ることができると思い喜んでしました。
 
 幼稚園に3歳で入園し、1月生まれの彼は、月齢的にお友達と肩を並べて生活するのが精一杯でした。入園のころに描いていた絵は、1色のクレヨンで画用紙を塗りつぶしたような絵でした。お粗末な絵を見るに見かねて、「見たとおり描けばいいでしょ」と叱った記憶があります。その直後に描いてくれたA1サイズほどもある大きな絵「おさるさんの絵」は、しっかりと目耳鼻口、胴体、手足、尻尾まで描いてあり、ふさふさした毛並みまで表現しているかわいい微笑ましい絵でした。それからは、かもとりごんべえさんの工作画、おおきな魚というデザイン画、不思議な木というデッサン画、開善学校での絵画や陶芸作品など、繊細で丁寧にダイナミックに描かれた数々の作品を見ては、喜んだり驚いたりしました。
 
 こうして、息子は自分の長所と好きなことを生かし美大に入ったように思われたのですが、兼ねてから身についていたサボり癖を発揮して、大学に足が遠のいた時期がありました。最近でも、4年間で卒業できるかと心配しながら、単位習得に追われ、4年間で卒業することを目ざして毎日学校に送り出しています。そのような日常なのですが、たいへん残念に思うことがあります。それは、彼が就職をする際に、美術関係の仕事に就かない限り、また、趣味として絵を描いたり彫刻したりしないと、もうこれ以上、私の大好きな彼の作品は増えないだろうと思うことです。心に隙間風が吹いたようなむなしい感じです。こんな風に思うのは、息子が人として成長していく過程のひとつとして仕方のないことかしらと思ったりします。空っぽになったような気持ちでしたが、考え方が徐々に変わっていきました。息子が社会に出るために、自分で好ましい選択をしてくれることを願って、門出をお祝いしてあげるお母さんとして、私の息子の作品に対してのひとりよがりな想いを、心の片隅に片付けてしましました。

 息子は、思春期の一時期を除き、幼い頃から大学生まで、温かさと優しさにあふれたかわいい作品を作っては、一番に私に見せて、形として残してくれました。このことが、私への最高のプレゼントであり、学生時代の軌跡であったように思えます。「息子美術館のわが家」は、まだほど遠いのですが、たくさんの作品を作ってくれた彼の美術にたいするひたむきな気持ちに、卒業の時になんて言って褒めてあげようかと思案中です。

 大学卒業と卒業後の進路にむけて、今私ができることは、毎日のように夕方になると「お母さん、今日のご飯何?」と笑顔で聞く彼に、おいしいご飯を食べさせてあげることくらいかなとおもったりします。寂しいようなホッとしたような、またちょっぴり幸せな思いが、心をよぎります。おいしく見える白い器を揃え、テーブルクロスとランチョンマットでおしゃれ感覚を演出し、毎日おいしいご飯を作ろうとするお母さんの気持ちが、ほんとにわかってくれているのと、いつか彼に聞いてみたいと思っている最近です。卒業制作に期待し、卒業したらどんな人になってくれるのかなと、楽しみにしています。

 父母会の学年部長を務めた当初、学年の枠を超えた大勢の方々で、話せる機会があればと考えていました。開善学校にはいろんな子どもがいます。発達障害の子、知的障害の子、高校を中退した子、内向的な子、実にさまざまです。親はさまざまなタイプの子の親はさまざまなタイプの子の親をしることによって、自分の子どもについて考え省みることができます。私は、そういった開善学校での親同士の交流の中で、子どものことや社会のとこなど、多くを教えていただいたことは、親が成長できるたいへんよい機会と思っておりました。

 実は6年前、100キロ強歩が中止になり、野尻湖でのハイキングに変更になった時に、24期の役員の方々が井戸端会議という形で、お話しができる機会を設けて下さいました。また、卒業式の後にも、ストーブ会議という形で小さな集いを開いて下さいました。どちらも、参加された方々は、貴重なお話しの内容に、満足されていたように記憶しています。

 私も井戸端会議とストーブ会議は印象深く、そのような会をもっと多くの方々とできる機会を持つことができればと思いました。そして学年委員の方と同期の役員の仲間の協力のもとで、たくさんの親が集まるマラソン大会の後に「みんなで話しましょう」と、思いをそのまま会の名前にして開催することができました。当時の内容は司会をしていた私は、司会だけで精一杯であまり覚えていないのが事実です。しかしながら、その会を快く引き継いで下さいました26期と27期の役員の方々が、より一層善い会でありますようにと願って下さり、現在に至っていることと存じております。その年の必要に応じて、さまざまな形に変えて下さっていることも聞いております。

 開善学校での親同士の話すことによる交流の場は、今でもすばらしい思い出となって私の心に焼き付いております。今は後援会の会議の折に出席する事で精一杯の私ですが、今でも父母会の時と同じように、学年の枠を超えてお話しできる機会を大事にしていきたいと思っています。



あっという間の6年間でした
29期 卒業生母

 息子は中学一年で入学して、6年間お世話になり今年29期として卒業させていただきました。
 私が白根開善学校を知ったのは、高山の知人の紹介です。「息子が通っている学校は、とても良い学校だから是非一度見学にいってみない?」と誘ってくださり、入学の2年前から行事ごとに学校に連れて行ってくださいました。
 息子は恥ずかしがり屋で、めったに自分の意見を言う子供でなかったのに、小学校6年の時に見学していた100キロ強歩では校長先生に自分から直接「僕をこの学校に入学させてください。」とお願いまですることが出来るくらいに、この学校が大好きになっていました。あっという間の6年間でした。
 「学校に守られながら暮らしている時が、親も子も一番幸せだよ。」と話してくださった先輩の父母の方の言葉を改めて思い出し、今はただ不安でいっぱいですが、山の学校での経験を生かしてゆっくり自分探しをしてほしいと願っています。
 先日、白根開善学校のテレビ放送をご覧になられた方は沢山見えると思いますが、その放送を見た高山の友人が、「すごく感激して泣いてしまったわ。」と話してくれたので「あれは、ほんの一部で、白根開善学校の子は、ああいう素敵なドラマを一人一人の子供が皆持っているんだよ。」と話してあげました。その友人は顔も隠さずに放送されていたのもとても好印象だとも話していました。
 放送に協力してくださった父母の皆様には本当に感謝しています。あの番組が、一人でも多くの悩んでい見える親御さんに届くように願っています、生徒数の減少も心配ですが、もし縁があれば今度は私が開善学校に連れて行ってあげたいと思います。
 開善学校は卒業された父母の方のサポートがすばらしい学校ですので、先輩方の後について少しでもお手伝いが出来れば嬉しいです。これからもどうぞ宜しくお願いします。大好きな開善学校が末永く繁栄することを願っています。




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